所村容子さんはステッカーNO150の所村浩樹くんの奥さまです。
容子さんも当時の浩樹くんの出場する試合に時々観戦し、その雄姿と人柄にひかれ生涯の伴侶となりました。めでたしめでたし?(と勝手な私の想像ですが・・・)当時は所村夫妻の子供も含め私たちチームの子供たちが集まり、子供たちの「お父さんガンバレー」の大きな声援と「パパがんばって~!」とママの時々の声援が聞こえるにぎやかな試合会場でした。
新婚当時も休日にはサッカーで二人きりの時間も少ないにもかかわらず試合後には泥だらけのユニフームの洗濯をし、数年後には子供たちと合わさり何回も洗濯機を回した時代でしたね。そのような仕事も忙しく大変な時期を乗り越え、今ではその子供たちも大きくなり、私たちに孫がいる世代となりつつあります。
以前より容子さんは大の宝塚ファンらしく、近頃は時々見に行く時間もあるようです。
これからも宝塚そして今後は歌舞伎などにも見学できるように願いつつ、二人の優しい笑顔の素敵な夫婦のように、被災地にも一日も早く、多くの本当の笑顔がふたたび巻き起こるように応援し続けましょう!
「Smail Again!みんなの笑顔」
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所村君はやがて30年前に学校卒業後すぐに私たちの社会人サッカーチーム「シンキング」(現在のシニアサッカーチーム30'Sの前身)に加入し、石川県社会人サッカーリーグで守護神として、はちきれんばかりの若さや勇気を発揮し大活躍しました。
その後は仕事の都合でなかなか参加できなくなりましたが数年前に石川県シニアサッカーチーム高校OB戦に10年以上もプレーしていないのに出場し、華麗で果敢な守備をこなし周囲を驚かせました。(なかなかできるものではありません)
本人は謙遜しますが体ができて、気力がないとできません。日ごろの行いが良いのですね。キット
素敵な奥さまと子供に囲まれながら、休日にはさすらいの釣り人のように大物等の釣果を上げて楽しんでいるようです。
今回も震災復興の力に少しでも力になれればと、進んでステッカー協力してくれたナイスガイです。(顔にも優しが溢れていますね)
これからも、家庭での守護神のみならず、時々と言わず毎週でも、その華麗な守備を披露してくれる我がシニアサッカーチームの守護神にも再度なることを願ってます!
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山さん(山本さんをいつもこう呼んでいる)は高校で三年間一緒に過ごした仲間で、それから40年以上の間友好を交わしています。この頃は会うのは時々となりましたが、先日山さんが名づけた「奇跡の再会」(ちょっと大げさですが・・・)を仲間としました。(詳しくはNo155参照)
山さんの奥さんは加賀友禅の色挿しをしています。(詳しくはNo156参照)二男一女の三人のお子さんを育てあげ、ナント男の二人はそれぞれ東京大学と東京工業大学を卒業され、現在は県外で生活されて一流の上場企業からベンチャー企業へと活躍しています。(トンビがタカを生んだは失礼ですが・・・)。お嬢さんは地元に就職して自宅から通っていいます。しかも最近は長男の孫誕生や次男の結婚と吉報ばかりでうらやましい限りですね。
山さんは郷ひろみの大ファンで本人も体脂肪率10%以下とこの年で驚異的です。そおいえば高校時代の運動会では倒れながらも前にいた全員を抜いて我がクラスリレー優勝の立役者になったのを思い出しましたよ。
山さん自身は北國新聞「地鳴り」常連執筆者と名乗ってますが、私は「平凡の親の東大生への育て方」(失礼!)でも出版ベストセラーにして、山さんの印税でこれからも一緒に遊び続けたいものですね~!
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青木さんはNo155に登場の高田さんの友人で「奇跡の再会」のメンバーの一人です。青木さんは学校卒業後は友禅作家の元で長年修業し、本人の才能と努力もあり友禅作家となられました。 修業当時は景気も良く、華やかな時代でしたが、友禅作家としてデビューした頃はバブルもはじけ中々続けていくことが困難な時代となっていました。 どこの業界でも厳しい時代ですが、特に伝統工芸は日常用途に使う機会が減り残念な状況です。加賀友禅や伝統工芸は金沢をはじめ日本の未来にも必要不可欠であり、伝統工芸に携わる多くの方も魅力ある方法で続けることを知恵を絞らなければなりません。まずは一つでも多く理解し、使いたいものです。
青木さんは現在母親の介護もしながら笑顔を絶やさず幸せな家庭を築いています。私たちも介護は親だけでなく自分たちの課題となってきています。 色々と教えてもらいながら時々は昔話で花を咲かせましょう!
]]>高田さんは加賀友禅の華やかな文様や柄の色挿し(筆でぼかしなどのある彩色すること)をしています。加賀友禅は染付等ほぼ分業化されていて、色挿しの染料は温めて使うため冬は良いのですが夏は苦労が多いようです。私の友人には加賀友禅作家を始め、北村さんのように色挿しのお手伝いしている方も多く、今ではみなさん数十年の熟練者ばかりです。
若いころは(二十歳前後の頃)その友人たちと皆で遠くへドライブや飲み会をしたものでしたが今ではそれぞれの素敵な家庭を持って孫もいる友人もいます。
それがこの「がんばろう日本」ステッカーに協力したいと電話が入ったキッカケでなんと当時の仲間全員(イタリア在住者もちょうど帰国するとのことで)7人が先日10数年ぶりぐらいに再会することとなりました。ある友人は「奇跡の再会」と言ってます。僕もそう思います。しかもみんなまったく変わっていないように感じ、当時のことが走馬灯のように駆け巡り楽しい時間はアッという間に過ぎてしまいました。話は尽きず又近々再会を約束しました。
これからもみんなが元気で合えることが楽しみです!
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平川さんは前回ステッカーNo153木下さんと同じ会社の野々市市三日市町にある㈱ゼック(写真は会社の前で)で日夜素敵な移動販売車(最近はピザ窯のあるピザ販売車両)等の製造に、その卓越した技量を発揮しています。(詳しくはNo153参照)
やはりイケメンで多くの仲間と休日には様々な活動への積極参加や東京でのジャパンショップ(商業系の日本有数の展示会)にも出かけたりする行動派です。
昨年は私と同じ農商工連携アドバイザー石川のメンバーで穴水町の大きな大きな能登栗等がある「うしやち農園」さんの魅力拡大の為の見学会にも参加しました。
今年は「うしやち農園」さんをはじめみんなで能登の魅力発信の為のイベントが石川県の認定事業として採択された「海外シェフによる世界農業遺産・能登の里山里海の食材を使った新メニュー開発とその食材ブランド化支援事業」をみんなで力を合わせて成功させましょう!
その時は平川さんのかかわれた移動販売車もきっと活躍するでしょうね!期待します。
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木下さんは見ての通りイケメンで気は優しく力持ちタイプで、今回のステッカー協力も進んで声をかけていただきました。
お仕事は野々市市三日市町にある㈱ゼックという移動販売者やキャンピングカー等の特殊車両の製造販売を手掛ける会社で日々製造に励んでいます。一台一台要望が違うことが多く、納期や要望変更もあり苦労も多いですが納車した時はみなさんに喜ばれています。そのノウハウは積み重なり、私の知人でも多くの方が依頼して好評を得ています。超高齢社会で店頭や玄関前まで商品等を運んでくれる車両はきっとお客様の笑顔を数多く作られていることと感じます。
そんな中でさらにお客様に喜ばれるために農商工連携では今後の対応として放射能測定対応車両や過疎地への支援にと熱心に取り組まれています。
これからはこのような移動販売車のさらなる活躍により、多くの笑顔が増えていくことが楽しみです。
]]>これは松田さん(車53-15No123)の羽咋市にある立派な古民家の自邸で毎月集まり懇談と称して飲みに集まった時の写真です。日本の戦後を支えた戦士たちで顔に年輪が刻まれていますね。
松田さんは輸入食材を中心に取り扱う商社で40年以上勤めれられた縁で、ヨーロッパのレストランと繋がり、定年退職後もその信用と人柄を頼って日本のシェフ達をフランスやイタリア等の一流レストランに人材紹介をしています。数十年前に旅立った日本人シェフが東京ばかりでなく全国各地で活躍し、なかにはヨーロッパのレストランでミシュランの星を獲得し続けるシェフもいます。
そしてその愉快な同級生達は松田さんの紹介によると左端の山田徳雄さん(車44-22No121)は苦労人で面倒見がよく情報通、中央上の高澤光さん(車26-46No122)は町長の運転手をしていた関係で顔が広く、社交的な好々爺です。右上の田畠晋さん(車36-92No121)は自然との触れ合いが好きで一年中山や海に出かけ自然の恵みを採集しております。シンプルでストレートな好々爺です。 全員定年を過ぎた同級生です。みなさん少しでも力になれればと協力してくれました。
私も松田さんはじめ皆さんのようにいつまでも仲良く、そして男の年輪を感じさせる顔となりたいものです。 今後とも末永いお付き合いのほどお願い申し上げます。
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㈲MI-Z 池端 美智子さん
池端さんはとてもおいしく安全安心なお水を提供しているMI-Zの代表取締役です。しかも写真でわかるとおりとても美人です。
いつも笑顔で前向きに仕事に取り組み、家庭も大事にしています。
池端さんの長男さんは会社や自宅と同じ場所でマッサージ店を営んでおり、とても親切で明るく前向きな好青年です。そんな彼に揉んでもらうといっぺんに疲れが取れます。
長女さんも優しく美人で、今年は大学から新社会人と勤めるとのことで、お母さんとしても一段落かなと感じます。ご主人もとても素敵な人でスポーツマンです。現在の自宅兼店舗は泉野町の閑静な住宅街にありますが、数年前までは同じ町内でしたので一緒にソフトボール大会にもでて活躍していました。
これからも長男さんに時々揉んでもらい、みなさんと今後とも交流できればと感じます。
今後益々のご活躍を祈っています!
]]>カフェギャラリー こうや 主人 古谷 英教さん
古谷さんは古くからの友人で、私が20歳のころに当時の片町大和の裏新天地角で「おっちゃん」というとてもおいしく楽しい5席のカウンターだけの2~3坪の小さな居酒屋で友人に紹介され通い始めたのがキッカケでした。
それで愛称を込めて今でも「おっちゃん」と呼ばせていただいてます。歳は僕より6歳上で、それから早や30年以上過ぎています。
おっちゃんは当時、片町新天地裏から十三間町でビルを買われ、1,2階を店舗に3階を住居とし、その際にお声をかけていただき、当時私が勤めていた会社で改装工事の設計施工をさせていただきました。
その後片町の別の場所でも営業され、数年前には故郷(柳田町出身)の能登は門前町国道249号沿いで海が目の前のに長年の夢であった店舗併用の木造住宅「カフェギャラリー こうや」を建てられ陶芸家としてもデビューしました。そのお店の中央の吹き抜けには十三間町の改装時と同じ高さ約5mの大きな能登キリコが鎮座しています。
お店の前の駐車場横には大好きな山羊に囲まれ、その山羊達からとれた新鮮なやぎミルクで作られた、とてもおいしい「やぎミルク愛す」も自作の陶芸と同様に自慢の品として販売しています。
おっちゃんの夢は大きく、もっとおおきな牧場で子供たちや親と遊べる牧場のディズニーランドを故郷能登に創り、貢献したいと考えています。
僕より年上でバイタリティと夢があります。
又一緒に夢の実現ができることを願ってます。
※本当は「除染」ですが染まった過去を除くではなく、未来の為に洗い除き一日も早い復興を願って、あえて「除洗」としたとのこと。
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杉山さんは我チームの代表で、石川県シニアサッカー創設に関わり、現在も力になっています。お仕事は家具製作をされており、たびたび私の無理難題な注文にも快く受け入れ、その力量を発揮され数多くの繊細かつ美しいフィニッシュの素敵な家具で多くの人に喜んでもらっています。
また私の同級生の兄であり、当時高校生の頃その同級生の自宅で夜遅くまで友人たちと談笑していたら(実は大声であったようで)杉山さんに「いいかげんせい!」と一括されたことを今でもよく覚えています。真面目でON・OFFをハッキリとし、苦難を人にみせず多くの人に慕われています。
家族や子宝にも恵まれ、多くの人の父であり兄のような存在です。
これからも元気で仕事に、サッカーに、家族にいつまでも貢献できることを願ってます。
いつまでも一緒にやり続けましょう!
あらためてよろしく。
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寺坂さんは小学生女子バレーボールチーム「富樫エンジェル」の監督をされています。チーム名の由来は金沢市立富樫小学校の地域のかわいい天使たちのようです。
創部は寺坂さんと数人で15年前に始められ、並み居る県内強豪ひしめく中でも石川県No1に二度もなり、昨年も全国大会へ出場されています。
現在の目標も仲良く楽しく全国出場を目指しています。(将来 全日本に選ばれるような選手が育つと良いですね)。そんな中、子供の減少で部員数や予算の確保にも奔走されています。
大震災では仲間とワンボックスカーに入りきらない程のバレーボールを被災地へ運ぶ活動もされ、とても喜ばれ現在も交流があるそうです。
これからも地域の子供たちのスポーツを通じての健全な育成と活動に期待します。
「がんばろう!富樫エンジェル」
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右上の検索窓に「がんばろう」と入力しますと全ての'がんばろう日本'ステッカー関係ブログが見ることができます.
これについて少し話したい。キッカケは
私達はこの大震災に対して何が出来るのだろうか?という自問自答、そして何かをしなくてはいけないという念いだ!
私にとってのその答えは一人一人がやれることをやり続けることだと考える。
救援物資輸送のお手伝いや義援金もした。個人的に時間も量も限りあるなかで、自分に悪影響を及ぼすことは本来あるべき姿とはいえない。健康で仕事をして応援し続けること。消費もその一つだと思う。(できれば被災地の物資を買うことは直接支援になると思う)。
そのような中で私は震災後1週間目の頃、所用で北陸高速を金沢から新潟方面を走行中に多くの救援物資を運ぶ車両、タンクローリー、緊急車両に遭遇した。フロントガラスには救援物資の垂れ幕があり、ナンバープレートの中には兵庫や愛媛遠くは熊本ナンバーもあった。
一日も早く多くの物資等が被災地へ無事届きますようにと祈る。到着すれば現地の被災者にとって少なからず勇気や元気そして力が湧いてくること思う。私も思わず心の中で走行中の車両と被災地の人々に「がんばれ~」と叫び、私まで力が湧いてくるようだった。その車両は「ゴジラ」の進軍のように力強く感じ、「ジャジャジャン」「ジャジャジャン」とテーマ音楽が聞こえてくるようだった。
そこで私が出来ることとしてこのスッテカーを車両のバックガラスに張り、ここ金沢や石川県でも今では多くの被災者が故郷を離れて暮らしている人々に勇気や元気を少しでも与え、応援することと、一人でも多くの賛同者の車に張ることによって、賛同者が復興の応援をいつまでもし続ける意思表明としたい。
デザインは国旗をモチーフに日の丸を復興への願掛けとして千羽鶴であらわし、千台の車両(千人の応援者)にステッカーを張ることを目標とした。時間がかかると思う、だからこそこのことを忘れない為に続けてゆきたい。
車両への張り付けは私自身が行いその際にみんなから応援メーッセージを書いてもらい、その証として通しナンバーをつけてこのブログとフェイスブックにアップロードしていく予定である。
ステッカーは無料です。ただしこのステッカーの趣旨に賛同され、手渡し可能なメッセージをいただける方限定で考えております。必要な方はこのブログのお問い合わせのメールフォームから連絡を下さい。
]]>本日ついに待ちに待った送られてきた 在日ベルギー大使 リュック・リーバウト閣下からの「がんばろう日本」ステッカー 1/1000メーッセージと写真
オランダ語:De Ambassadeur Z.E. Dhr. Luc LIEBAUT
フランス語:L'Ambassadeur S.E. M. Luc LIEBAUT
英語:Ambassador of Belgium to Japan H.E. Mr. Luc LIEBAUT
このように素晴らしいスタートを切れた事に大使には感謝、感激です。
上段はフランス語で、下段はオランダ語(大使の母国語)意味は同じで日本語で「ベルギーは日本の復興を心より願ってます」英語ではBelgium wishes Japan lots of courage.です。
なお経緯等の詳細については後日報告します。
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坂本さんは 我がチームの No28を背負って活躍しています。お仕事はお国の為に体を張って頑張っています。数年前には海外で国際試合の審判もこなす国際派です。「気は優しくて力持ち」です。車はとてもカッコイイRX-8に乗っています。以前に我がチームはシニアで石川県でNo1チームとなり、北信越のチャンピオンをかけての長野での試合では、バスでの集合時間には仕事の都合上間に合わない時でも、このカッコイイRX-8で一人試合に駆けつけ出場してくれたナイスガイです。でも最近は年齢によるものなのか体に支障をきたす事もありまのでUPやクールダウンを充分に行って、これからもいつまでも一緒にやり続けましょうね!
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